作者紹介
残間正之
1953年1月29日、北海道生まれ。フォトジャーナリスト。ファッション、会社案内、カタログなどのコマーシャル写真を撮る一方で、アウトドア&釣り雑誌の企画や撮影、執筆も行う。世界61カ国の秘境に住む民族を訪ねつつフライ・ロッドを振る。著書多数。

「世界釣魚放浪記」
(エイ出版/1500円(税別)/2001.10.1発売)
海外の釣り紀行「だからロッドを抱えて旅に出る」の続編!フライだけでなくソルトのルアーも多少含まれています。

 

 当時の北海道はまだまだ庭先にまでヒグマが出没し、大人でも単独で山に入るのはタブーだった。だが、ボクには絶対に信頼のおける相棒がいた。シロという中型のアイヌ犬の雑種で、ボクの命令なら、どんな相手だろうと勇敢に立ち向かう頼もしい犬だった。日頃、学校の終業ベルが鳴るのを待ちかねたように校門まで迎えに来てくれ、ボクの喧嘩相手などは、即座に追い払ってくれた。
 そんな相棒のシロとボクは、熊戻り渓谷の支流のイワナの沢に、熊笹と背丈ほどもあるフキの葉を分け入り、前日に捕獲しておいたクマアブを生きたまま針に付け、水面をかすめるようにしてイワナを誘う。釣り竿は裏山に生えている内地竹(根本が直径2センチほどで、矢竹の一種と思われる)を乾燥させ、印篭継ぎにした延べ竿である。
 両側には熊笹が繁り、流れの周辺には背丈以上もあるフキが大きな葉を広げている。空は遥か上に僅かに見えるほどで、風の音もなく、清流の音だけが耳にこだまする。シロはボクのすぐ脇で耳をピンと立て、非常警戒体勢をひいている。
 苔むした大岩に阻まれた流れが弾け、倒木の陰で流れが渦まく。ボクは身を潜め、木々の間から竿を差し伸べる。クマアブが水面をかすめた瞬間に岩陰からアメ色の魚影が走った。すかさず竿を立てる。クマアブを呑み込んだエゾイワナが水面から身を踊らせ、次の瞬間に岩陰に潜り込もうと柔軟な身のこなしで体を反転させる。テグスがキューンと悲鳴を上げ、竹竿の継目がきしむ。
 シロが吠えたて、ボクはフキを踏みつけて足場を確保する。水面近くで喘ぐイワナの口は驚くほど大きく、苔むした岩底にオレンジ色の下腹が目を疑うほど鮮やかなコントラストを魅せる。
 ときめきと興奮の交差する中でイワナを岸辺に引き寄せる。シダの根元に横たわったイワナは、白く縁どりされた唇を喘がせ、その瞳は驚きを隠そうともしない。
 ボクは虫喰いのないフキの葉を一枚むしり採り、イワナを丁寧に包み込んで腰に麻縄で結わえ付けた竹カゴの奥に仕舞い込む。それからまた、次の小さな溜りを目指して沢を上る。シロは耳を立て、尻尾を立て、ボクに続く。
 ……そんな故郷を後にして30年近い歳月が流れた。



コイやフナを手掴みした池も、秋アジを捕まえた用水路も今はもうない。釣りの相棒だったシロも遥か前にあの世に行ってしまった。利別川の上流部にも、熊戻り渓谷の下流部にもダムができてしまった。だがボクは、今でも当時の出来事を昨日のことのように思い出すことができる。ボクの踏み越えた岩の一個一個、マムシの潜む岩の割れ目、うっすらと雪化粧した熊笹、そして大イワナの潜む小さな淵……。
 今考えると、貧しい食生活の足しにするためとはいえ、ずいぶんと魚に対して残酷なことをしてしまった。キャッチ&リリースなんて、今さらいえる立場ではない。だが、当時の反省があるからこそ、声を大にしていいたい。清流の妖精たちを生かすも殺すも自分自身だと。
 今この地は後継者問題など慢性的な過疎に喘いでいる。漁業や農業以外に働く場所のない若者たちは町を離れ、高齢化の問題も深刻である。その反面、町役場や公民館など、公共の施設ばかりが見せかけの豪華さを競いあっている。あまり意味のない道路や漁港の拡張、砂防ダムの建設、コミューター飛行場計画、温泉ホテル建設……。日本の過疎地の多くがそうであるように、中央省庁にすがっての公共投資だけを当てにして成り立っているような気もしなくはない。日本政府そのものが借金地獄に喘ぎ、倒産寸前だというのに、親の臑は噛じれる内に噛む、そんな感じである。自分の保身のために借金を借金と思わないような政治家を選んでしまったのも我々国民の責任だが、その付けを払わされるのも我々自身である。それも孫子の代まで……。
 ボクは今でも毎年1、2度は道南の海や川を訪れる。昨年も4月初旬と8月上旬、そして9月中旬にも訪れた。残雪の残る早春の利別川本流では70センチ強の海から遡上して間もないアメマスに出会うことができた。8月には元気一杯のヤマメやイワナと戯れることができた。そして9月中旬には、いずれもフライフィッシング歴20年以上の友2人と連れだって昔懐かしい清流を釣り歩いた。
 場所は利別川のとある支流と狩場山の裾野から日本海に注ぐとある河川。林道を辿り、30年以上前に何度も通った沢に足を踏み入れた。林道をとぼとぼ歩いて下り、沢音を頼りにクマ笹のヤブを越えてひんやりとした河原にたつ。
 川面に目を凝らすと脇腹が朱色に染まった雌の尺ヤマメが尾ビレで細かな砂利を盛んにかき分けている。そしてその周りには黒ずんだ雄のヤマメが数匹、お互いを牽制しあいつつ雌の脇腹に身体を擦り付けて産卵を促している。いくつもの砂防ダムに遮られ、申し訳程度に設置された魚道が、上流から流された流木や枯葉、土砂に埋もれているというのに、ヤマメたちはしたたかに生きている。彼らの不屈の闘志と生命力に乾杯したい気分だ。
 産卵場所を遠巻きにして上流を目指す。川面が流れにきらめき、岸辺に生えたイタドリの巨木に絡み付いた蔓にはコクワ(サルナシ)や山葡萄がたわわに実っている。あと1週間も経って霜が何度か下りると、ヒグマやエゾリスたちの冬ごもりの餌となることだろう。
 流心に8番のエルクヘアーカディスをプレゼンテーションする。すかさず黒い影がよぎり、なんの警戒心も持たずにフライを食わえる。野生の息吹がラインからロッド、ロッドから脳裏へと瞬時に伝わってくる。子供の頃に愛犬のシロと共に恐々と足を踏み入れたときのことが脳裏をよぎる。
 足もとに横たわった魚は、細っそりとした精悍な体型に白い水玉模様を纏ったエゾイワナだ。なんと美しいことか。源流部に生きる魚だけに許された寸分の無駄もない美しさだ。フライを素早く外し、真珠の衣を纏ったエゾイワナが流れに無事に帰るのを見届け、再度キャストを開始する……。
 午後には場所を変え、さらに源流部を目指す。大岩が流れを阻み、その淵に八番のグラスホッパーをプレゼンテーションする。着水と同時に、なんの躊躇もなくイワナがフライをひと呑みにする。夏場には水も涸れ、冬場には川面が凍てつき、さらには深い雪に閉ざされて餌も限られる、そんな厳しい環境の中で命を育んでいるのである。なんと健気なことか、なんと生きることの素晴らしさを感じさせることか。
 深い谷間は早々に暗くなる。ここではイヴニングタイムなんて存在しない。イワナにとって、生きるために不可欠なイヴニングタイムはそっとしておくべきだ。アングラーはハンディを楽しまなければならない。魚の警戒心が解かれたその瞬間を狙うなんて、北海道の源流帯では不必要なことだ。その時間は魚たちの神聖なる時間として残すべきだ。

 (続) 

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