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作者紹介


ボンソワール山本

北海道根室市出身。新人時代のヴェトナム前線での取材を機に反戦・反体制?記事を書き続ける熱血ジャーナリスト。だから実名ではありません。趣味はススキノ探訪と海釣り。

 ●第1弾●

[はじめに]
渡島半島の東南海岸部、道立自然公園にも指定される恵山には高山植物が多数生息し、春には60万本ともいわれるツツジの花が山裾を染め、高台からの見事なロケーションや温泉も楽しめる「海と自然の街」恵山町。

しかしこの恵山町に知る人ぞ知る「裏・観光スポット」があるのを皆さんは御存知だろうか。
「バブルの夢の傷跡」「史上最大の無駄遣い」「失われた幻の理想郷」・・・・・・
それが今回ご紹介する総合リゾート施設跡地、

「恵山」である。

[恵山とは?]
「恵山モンテローザ」とは札幌の鉄鋼加工メーカー「三井」が、バブルの始まった1988年に「恵山高原ホテル」を買収、開発した総合観光施設である。
特筆すべきは、第一期工事だけでも300億円という今ではとても考えられない費用計画。しかも道銀などの融資を受けていたというから更に驚きである。もうひとつ特筆すべきなのがその『悪趣味』っぷり。入口のプチ凱旋門、馬鹿デカいプールの中央にある噴水と黄金の天使、プールサイドの龍、巨大菩薩像と金閣寺もどき、そして極め付けが全長45m高さ11m奥行12mもの超特大黄金釈迦涅槃像・・・このあまりにも奇怪なゴージャスぶりは地元民からも当初から疑問視する声があがっていた。
そんな期待半分疑問半分で進められたリゾート開発だったが、バブル崩壊とともに案の定経営は破綻の一途を辿る。計画は70億円を投じた時点でとん挫。三井の佐々木昭次元社長は1991年に会社を追われる。
そして1997年、温泉施設以外の全ての施設の営業を終了。翌年には唯一営業を続けていたホテル内の日帰り温泉の営業も全て終了、哀れ「モンテローザ」は完全閉鎖の憂き目に遭ってしまうのであった。
更に1999年には元締の三井までもが解散してしまい、後に残ったのは廃虚と化した建造物と朽ち果てるばかりの涅槃像・・。


[モンテローザへの道程]
2002年11月某日。
函館に降り立った我々は早速目的地へ向かった。雪は無いものの、風は冷たく身が切られる様だ。
国道275号線を海岸線に沿って40キロ程行くと恵山町に入る。
この山麓にがあるのだが、国道を走っていると今でも

こんな看板が目に飛び込んで来る。哀しい。

上の看板どおりに交差点を右折して道道635号線を走る。


この道路、御覧の通り1車線しかなく、大型観光バス同士のすれ違いは到底無理。これでは団体客の誘致などもかなり厳しい。


更に遺された看板に従って約15分ほど坂道を上っていると、我々の前に突如白い大きな門が!



[入口のミニ凱旋門]
遂に我々はの入口に到着した。
入口は凱旋門を模した造りで、当時の栄華(?)を物語るかのような立派なブロンズ像と異様なまでに精巧な柱の装飾が我々を出迎えてくれる。


門裏側から見た様子。ブロンズ像は計6体ある事になる


無駄に立派な柱の装飾

突撃じゃーっ!


な〜んちゃって

門には柵が巡らされており(恵山町が設置したものらしい)立入禁止という事であったが、我々は構わず突破した。
門をくぐり道なりに進んで行くと、早くも涅槃像の姿が遠くに見えてきた。

 

我々はいよいよモンテローザの中心部を見る事となる。

 

(続)  

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