「藤吉 裕和の山の中から子ども達に向けて」


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「おっちゃん」と「山の中」をキーワードに、昆虫の家の紹介から設立のいきさつ、現在の活動をご紹介します。

作者紹介
藤吉 裕和
1973年4月26日、北海道常呂町産。地元の高校卒業後、家業の農業を後継しながら通信情報系フリーライターをする。その後、離農し網走のOA機器修理職を経て現在建設会社勤務。常呂町在住。

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■第28話


■あの暑い夏の日
謹賀新年。新しい年が巡ってきました。去年のような大雪を恐れながら、寒さが厳しくなったり、時折初春のような陽気になったりする天候が、異常さを物語っている様で少しだけ心配しています。

 季節とは逆行して昨年の夏の「いきいき」の事をいくつか書いていきたいと思います。とにかく、開催期間中は猛暑を越える酷暑の日が続き、全国から集まった子供達は暑さにバテていました。元看護師の養護担当は口うるさく「水分補給の徹底」を指示していました。前半は元気の良かった子供達ですが、後半は熱を出す子供が続出し養護担当を含めスタッフも対応に追われました。

 そんな状況の中、地域の皆様の差し入れや、参加している子供達の保護者の方々の様々な差し入れは非常にありがたいものでした。一昨年の「いきいき」では子供達が使う布団や毛布などが常呂町のたくさんの家庭から提供を受けました。今回は、スイカ、ナシなど水分補給にこの上ないものの差し入れをたくさん頂く事ができました。漁師の方々からは魚や貝類など、農家の皆さんからはジャガイモやタマネギなどなど。なかでも驚いたものは、榎本歯科医院さんから窓に取り付けるエアコンを提供してくださった事です。個人的にも榎本先生にはお世話になっているのですが(以前、私自身の事を書いた時には記しておりませんが、無線を使ったインターネットも利用してくださっていますし、歯列矯正中に何か緊急処置が必要になった時など、北見まで行かずにお言葉に甘えてお願いしていたりします)、昆虫の家まで出向いてくださり、ものすごい暑さのプレハブに取り付けてくださいました。もちろん、マネージメントディレクター(金庫番)の若原さんは、「電気料が上がるからつけっぱなしにしないように、使わない時は止めるように」と厳しい指示が出たのは言うまでもありません。

提供頂いた救世主のエアコン


 三興自動車さんからはアイスクリームの差し入れが。この暑い日が続いていた時ですし、ましてや「おやつ」らしいものはしばらく口にしていないものですから、子供達はものすごいスピードでにこにこしながら食べていました。一昨年参加していた大学生(今は社会人)達からもホームページを見ていて暑さに参ってる様子を察知してか、スポーツ飲料がたくさん送られてきました。本当に、多くの皆様の暖かさを感じる事ができました。

暑い時のアイスクリームは自然と笑顔に


 今回はお隣韓国の子供達と大人達が参加しました。言葉の壁、文化の違い、考え方の違い、たくさんの差異がありました。そして、日本の若者スタッフ達との摩擦も一部では見受けられました。もちろん、その壁を乗り越えた若者もたくさんいました。この事業の開催中、逃げるとか自分の時間というものはありません。行動を共にするものであり、24時間子供も大人も一緒に生活をします。色々な誤解も考え方の違いも、それぞれ認め合うには十分な時間がありました。無事に事業を終える事ができたのは、それぞれが個々の個性を受け入れたからだったのでは、と思っています。

 事業が終わった後も、たくさんの方々のご協力を頂きました。海外からの参加者は、感想を英語と韓国語で残してくれました。昆虫の家のおっちゃん達は英語が堪能だったり韓国語もできるという人は聞いた事がありません。常呂町の中台さん、山口県の小池さん、経済の伝書鳩の記者さんにご紹介頂きました北見市のチョさんに翻訳をお願いしました。それぞれが仕事の忙しい中、自分の時間を割いて協力して頂けました。この翻訳された感想は、いきいき参加者に配布される文集に集約され、子供達とスタッフ達の思い出の一部となって配布されました。

 あの暑かった夏の日、ここで起きた出来事。参加者達だけが共有できる思い出。きらきら輝く池の水面(みなも)。みんなの声と駆け回る足音。日中は蝉の大合唱、夜は蛙の大合唱。ゆっくりと流れていたようで短かった2週間。それぞれの思いを胸に子供達とスタッフ達は昆虫の家を離れていきました。

 −−−みんなの思いはここに残っているからね。
そんな思いが優しく包んでいました。

(続)

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