1月15日の沖縄桜まつりに始まる桜花リレーは、およそ5ケ月間に及ぶ時間をかけて北上コースを辿り、最終道東の地でゴールを迎えます。
この間、幾種類のサクラランナーが出場しているのか残念ながらその知識はありませんが、アンカーはまぎれもなく「釧路八重桜」です。
写真は5月20日に撮影したものですが、ここ数日の陽気によっていくつかの蕾は開いたものの、まだほとんどは咲こうか咲くまいか迷っている様子でした。
エゾヤマザクラやチシマザクラは、すでに満開と言っていいくらいなのに・・
21〜22日の台風2号と気温5度の冷気のお陰で、この貴婦人はご機嫌を損ねてしまい、6月に入らなければ華麗な全身の美貌を見せてくれないかも知れません。
この釧路八重はまさに濃紅色、涼やかな釧路の春に凛とした存在感を持っています。
そして、その花びらも一輪に30枚もつけ絢爛豪華、派手さだけで言うとサクラ界の叶姉妹か、いや「釧路の夜」を歌った美川憲一? いやいや紅白の小林幸子?
昭和42年春のこと・・ 園芸業を営み無類のサクラ好きであった故稲垣六郎さんが、山を歩いては色の濃いサクラを見つけてその熟した実を持ち帰って蒔くこと数年、この年に咲いたうちの1本が見事な八重咲きのサクラでした。 以来、このサクラの繁殖に半生をかけた稲垣さん・・・詳しい資料が手元にないので断片的にしか紹介できないのが残念です。 そもそもこのサクラは実生では育たないことから、自然界ではその勢力を広げることがありませんでした。 それを知った稲垣さんは、接木の方法でそれを可能にしようと挑戦しました。
失敗に次ぐ失敗を繰り返したあと、自生のエゾヤマザクラを台木にして穂木をしたところ、見事にその八重桜は成長をはじめたという逸話が残っています。
稲垣さんは、このサクラに「釧路八重」と命名し、昭和56年に農水大臣から品種登録の認可が下りました。
その後、稲垣さんの遺志を次女の悦子さんが継がれて、釧路八重の繁殖に取組まれておられます。 冷涼な大地に鮮やかに咲き香る「釧路八重」・・・ ファイナリストとして充分過ぎるほどに絵になるこの麗人を、大切にそして多くのエネルギーを集めて増やし続けていかねばと思う昨今です。
(2004・5・22)
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