大谷地恋太郎の地方記者日記

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作者紹介
ペンネーム:大谷地恋太郎
日本各地を転々とする覆面記者。
取材中に遭遇した出来事や感じた事を時に優しく、時に厳しくご紹介します。

(以下は大谷地氏とは関係ありません)

石川安之進(1872-?)
山口県生まれ。23歳の時に屯田兵を志願して渡道する。若い頃より馬に興味を持ち、
屯田部隊解隊後は農業に従事する一方で種馬の繁殖に取り組んだ。一旦は失敗したがその後、馬の飼育に適した土地を求めて1914年(大正3)咾別村(現在の幕別町)に移住。1922年(大正11)に「イデュメー号」を、1924年(大正13)には「ウルガット号」を購入し、その血統から多くの名馬を生産、幕別の馬匹改良に貢献した。

■地方記者日記97
 電話債券
by大谷地恋太郎

 今、どうしようか処分を考えているのが、電話債券だ。
 その昔、NTTが電電公社と言われていた時代に、電話を自宅に設置するのには、設備費のほかに債券を買って、電話を引くことが義務づけられていた。NTTになってからも電話を引く場合は、これが必要だった。
 私も、札幌に転勤してきた数年前には、業者から電話債券を購入して、賃貸マンションの自室に電話を設置する申請をしていた。債券は確か六万円か七万円ほどの安いものを入手した記憶がある。
 しかし、時代は変わった。
 ひかり電話などの普及で、電話を新たに引く場合でも債券は必要なくなった。
 問題は、現在使っていない電話債券を持っている人だ。
 転勤や引っ越しで、これまで使っていた電話が必要なくなり、債券だけを持っている人がかなりいる。
 私もそうだ。札幌から転勤し、今の支局局舎には電話回線が数本入っているため、個人で購入した電話債券が不必要になったのだ。
 だが、また再度の転勤で使うかもしれないと、後生大事にしまっておいたのがいけなかった。
 ネツトなどで検索して見てみると、本当に驚いた。と同時に無性に腹が立ってきた。債券の買い取り業者がいて、その価格が何と数千円にしかならないのだ。たったの数千円。数万円もしたのに、十分の一にもならないのだ。
 確かに時代の変化は速い。携帯電話の普及で、いちいち債券の申し込み手続きをするなどして、学生の下宿や単身赴任の人間が固定電話を持つ必要はなくなった。必要とされなくなったものに価値はなくなるのは、当然のことだ。
 となると、話は簡単だ。
 債券が数千円でも、売れる時に売ってしまった方がいい。そういうことなのだろう。
 私が子供の頃、電話は貴重な道具だった。当時のサラリーマンの月給の数倍はする債券を買わないと、電話を引くことが出来なかったから、金持ちしか電話がなかった。電話を掛けたい時は、公衆電話に行ったし、そして相手も持っていないから、隣や近所の知り合いで電話を持っている家庭に電話して、呼び出してもらった。牧歌的な時代だった。現在のように、一人で携帯電話を何台も持つ時代とは雲泥の差があった。
 私は公団住宅に住んでいたから、我が家に初めて入った電話は、おかしいことに、どこかの家庭と対をなした電話だった。電話回線が少ないために、二つの家庭で一回線しか割り当てられず、私の自宅の電話を使うと、対となったどこかの家庭の電話が使えない。逆に対となった電話が使われると、私の家庭の電話が使えない状態がしばらく続いた。
 しかも、時には混線して、どこかの通話が入ってくる。こんな電話の生活だった。
 高校生になってマセてくると、彼女に電話すると、大抵は彼女の父親が出てきて妨害される。電話を使った恋愛は、ハードルが高かった。これも電話債券の歴史かな、と思ったりもする。
 電話債券がなくなることで、古くて、使いにくかった電話のことは忘れてしまうのだろう。

(続き)



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