大谷地恋太郎の地方記者日記

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作者紹介
ペンネーム:大谷地恋太郎
日本各地を転々とする覆面記者。
取材中に遭遇した出来事や感じた事を時に優しく、時に厳しくご紹介します。

(以下は大谷地氏とは関係ありません)

辻村直四郎(1870-1941)
神奈川小田原出身。開拓の志を抱き1890年(明治23)渡道。馬追原野の農場で支配人として働くが2年後に岩見沢に入地、開墾作業を行う。開墾地を「志文」と命名した他、辻村農場の経営、寺小屋の開設、農業留学等、岩見沢農業の発展に大きな功績を残した。岩見沢・志文開拓の祖。

■地方記者日記127
 切り抜き
by大谷地恋太郎

 本日は夕方から、支局の事務所で新聞記事の切り抜き作業を行った。
 私が勤務する新聞社の新聞や他社の新聞各紙を広げて、今後参考になりそうな記事や、取材で必要な記事、さらには個人的に関心のある出来事を、カッターと糊を使って、スクラップ帳に種類別に張り出していく作業だ。
 毎日やっていればいいのだが、作業に時間がかかるうえ、日々の仕事に追われてしまい、事務所でじっくりと新聞の切り抜き作業をするのはせいぜい一週間に一回だ。
 一度読んだ新聞で、再び数日後に読み返すと、新しい発見もあったりする。
 読みながら、カッターを使って切り抜いていくのだ。
 しばらくすると、手が真っ黒になる。新聞のインクのせいだ。石けんを使って手を洗い、そして再び作業を再開する。それを何回か繰り返して、作業が終了するが、新聞を何紙も取っているため、切り抜かれた新聞は分厚い束になってくる。地元町内会では、古新聞を資源ゴミとして扱っているから、簡単に捨てるわけにはいかない。
 インターネットや社内データベースの発達で、新聞の切り抜き作業をしていない若い記者が多い。「最近の若い奴は」と言うと、親父くさいが、敢えて言わせていただこう。新聞記事の切り抜きを怠っている記者に、ろくな者はいない。
 実はこの支局の前任者も、新聞の切り抜きをしていなかった。三年間勤務していて、ゼロだった。
 困るのは、後任者である私だ。私が着任するまでの三年間、この街で何が起きていたのか、全く分からない。驚いた。こんな怠慢でいいのか、と思った。支局にとって新聞のスクラップ帳は、大切な事件史であり、記録なのだ。手作業で積み重ねていくからこそ、大切な記録になっていくのだ。文句を言いたかったが、窓際に転勤になったから、文句も言えずにいた。
 おろそかにした罪は重い。
 毎年春にある行事も、イベントも分からないし、市町村合併の動きすら分からない。
 まさに手抜きだった。
 振り返ると、私が新聞の切り抜きなる作業を始めたのは、中学生の終盤だった。純粋に、あの時はプロ野球巨人のファンで、巨人の記事をずっと切り抜いていた。大学ノートに張って、それが大切な宝物になっていた。
 あの大学ノートのおかげで、王や長島、柴田、高田、黒江、土井(古いねえ)などの選手たちの打撃成績などの数字を暗記していたのを思い出す。堀内、高橋一三、渡辺ら投手の成績もきちんと覚えていた。
 さよう、新聞の切り抜き帳は、大切な個人のデータなのだ。
 大学生の時は、コラムが中心だった。読んでみて、こんな記事を将来書いてみたいと感じたコラムを大学ノートに張り付けていた。
 実際に新聞記者になってみると、仕事に必要な記事は、マメに切り抜いてきたし、それらの多くは個人のデータベースになっている。大切な手作業の積み重ねなのだ。
 そして今、親父記者になってしまったが、こう確信している。
 新聞の切り抜き作業こそが、新聞記者の原点であり、出発点なのだと。ちょっと格好いい?

(続き)



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