大谷地恋太郎の地方記者日記

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作者紹介
ペンネーム:大谷地恋太郎
日本各地を転々とする覆面記者。
取材中に遭遇した出来事や感じた事を時に優しく、時に厳しくご紹介します。

(以下は大谷地氏とは関係ありません)

永田 方正(1838-1911)
江戸生まれ。西条藩主の侍講、英書翻訳の職を経て1881年(明治14)開拓使に採用され渡道。教職に就く傍ら現在の八雲町でアイヌ人教育とアイヌ語研究に尽力し、1891年(明治24)にはアイヌ語地名の調査結果として「北海道蝦夷語地名解」を刊行した。

■地方記者日記123
 大ショック
by大谷地恋太郎

 驚いた。ショックを受けた。人気歌手、ZARDのボーカリスト坂井泉水の死亡のニュースだ。
 がんで入退院を繰り返していた、というのも初耳だったし、死因が転落死らしい、というのも不可解だ。早朝のウオーキングというのも、管理が厳しい病院では不可思議だ。この原稿を書いている時点で、正確な話は伝わってこない。
 一度は治りかけたがんも、肺に転移し再び入院したというから、本人も苦しかったのだろう。何となく、自殺を彷彿させる雰囲気の報道だ。
 その日、たまたま見ていた民放の昼のニュースで知った。民放に続いてNHKがきちんと報道すると思って見ていたが、簡単に報じただけ。内容もなかった。NHKとZARDと言えば、シドニー五輪でNHKがテーマソングとして流した曲は、ZARDが作った曲だ。そんな中なのに、簡単に報じるのは、何か別の意味があるのか、と疑問を持ったほどだ。
 ZARDは元々、テレビにもほとんど出ない手法で、神秘性を出してヒットソングを作り続けた。コンサートを開いたのも、洋上コンサートが初めてだし、縦断ツアーを組んだのも最近のことだ。
 だから民放が翌日の芸能ニュースで流した映像は、この縦断コンサートを収録したDVDからのもので、みんな一緒。それだけ、各社も映像のデータがなかったことになる。
 そんなにコンサートがうまいわけではない。
 しかしこれだけ人気を集めたのは、歌詞がうまいからだ。
 以前、「札幌ストーリー」の欄で、ZARDの話を書いたが、吉田拓郎の曲作りに似ている。街、人々、歩く、夕日、孤独などのキーワードをちりばめながら作る歌詞は、拓郎と全く同じなのだ。知ってか知らずしてか、そうしたキーワードが中年の男性にも引きつけていたのだろう。「きっと忘れない」「マイフレンド」など歌詞は拓郎のそれを連想させる。
 ZARDの死亡に続いて、松岡農水大臣の自殺のニュースが入ってしまい、ZARDの死亡の記事は、小さくなってしまったが、このニュースは尾崎豊の死に匹敵する話だと私は思う。
 しかし、なぜ死んでしまったのか。
 病気でも、がんでもいい。嘘をついて、ファンには音楽を発表して、歌い続けて欲しかった。
 たぶん、想像だが、理想と現実、そして病気と健康の狭間で、空中散歩をしたくなったのではないか。そして何の抵抗もしないで、地面にたたきつけられた。頭を強く打ったが、本人は「これも私の人生よ」と、悲しむわけでもなく、楽しむわけでもなく、意識を次第に失っていったのでないだろうか。
 だったら、嘘を言ってくれ。
 吉田拓郎と中島みゆきが昨年秋のつま恋コンサートで共演して披露した「永遠の嘘をついてくれ」のように、「種明かしをしないでくれ」「一度は夢を見せてくれた君じゃないか」と最後まで歌ってくれ。
 あと十年、否二十年、歌い続けて、円熟したZARDを見たかった。六十歳の拓郎と、五十五歳のみゆきの世紀の2ショットで歌う姿が、ちょー格好良かったように、年取ったZARDを見てみたかった。
 享年四十歳。合掌。

(続き)



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