魚介類が豊富な北海道ですが、それを代表する食材の一つにサケが挙げられます。
 北海道のサケの歴史は古く、アイヌ民族もサケ漁を盛んに営んでいました。
 サケ料理は数えきれぬほどあり、ほとんどの部位を食せます。貴重な食材として、アイヌ民族からは神の魚として崇められていました。
 サケの文化は平成16年に北海道遺産として認定されました。



 秋になると、飛沫を立てながら上流へと泳いでくるサケの群れを見られる河川があります。銀色の体色が黒ずみ、体のあちこちを傷つけながら、生まれ故郷である川へと溯上してくるのです。
 産卵場として選ばれるのは、冬でも凍結しないような河床から湧水がでている砂利地帯が選ばれます。水温の変化が少なく、卵が育つ環境に適しているからです。
 産卵は秋から翌年の1月末頃まで行われます。雌雄一対になると、まずは巣づくりが行われます。産卵するための穴を掘るのは雌の役目です。雄はその間、他の雄が近づくのを防ぎます。自然界での交配には熾烈な争いがあり、それに勝ち残らねば子孫を残すことができないのです。
 穴を掘り終えると雌は産卵し、雄はその上に放精します。雄はそれが終わると、卵を外敵から守るために穴を砂利で覆います。産卵される卵は約3000粒です。
 これらの産卵行動が3〜5日にわたって行われます。サケは数日間、産卵床を守りますが、雄も雌もそう長くは生きていられません。



 3000もの兄弟がいるサケですが、稚魚の時は大きな魚に、海への長い旅の最中にトド・アザラシなどに食べられてしまうことも多く、生き延びられるのはほんの僅かです。故郷への帰還も苦難を極めています。やっとのことで帰ってみても、川が汚染されていたり、産卵できる場所がなくなっていることもあり、サケの溯上が見られる川も段々と減ってきました。
 そこでサケ稚魚の捕獲を禁止したり、人口ふ化させた稚魚を放流する措置が取られることになったのです。
 札幌市内を流れる豊平川は昔からサケが帰ってくる川として知られていましたが、市民の人口増加とされに伴う排水による水質悪化が悪化し、サケの姿が消えてしまいました。下水道の整備されると水質は改善され、1978年にはサケを呼び戻そうとする市民達の間で「カムバックサーモン」運動が起こりました。翌年から稚魚の放流が開始され始め、1981年に放流された稚魚が親ザケとなって豊平川に帰ってきました。この運動に積極的に取り組んでいる小学校なども多数あることで、サケがどれだけ人々に親しまれているかがよく分ります。
 豊平川に架けられた橋には、下の写真のようなサケのオブジェがいくつかあります。



 サケを大事に思っているのはアイヌ民族も同じです。古くから北海道に住んでいた彼らは、サケのことを「カムイチュプ」と呼んでいました。アイヌ語で「カムイ」は「神」、「チュプ」は「魚」を意味します。栄養価が高く、調理法法が様々あって食べられない部位がほとんどないサケは鹿肉と共にアイヌの人々の主食となっていました。「カムイチュプ」の他にも、「真の魚」や「主食」という意味でシペとも呼ばれています。
 アイヌ民族は自然を崇め、その中に神を見いだしていました。彼らは、サケは神の国からやってきて、人間の国で食べ物になり、また神の国へ帰っていくと考えていました。
 そのためか、アイヌ民話の中にもサケの登場が見られます。例えば、水汲みにいった少女が月に連れていかれたことを、サケがその母親に教えるという話があります。他の魚は行方を教えないのに、サケは「神の魚と大切にしてくれたから教えてやろう」と言うのです。「他の魚」と別格扱いしたことからも、アイヌ民族のサケへの愛着が伺えます。


 

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