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作者紹介
渡辺 俊博
道中作文画家
デザインスタジオ・ズウ代表

昭和23年北海道夕張市生まれ。
印刷会社、広告代理店勤務のち昭和54年デザインスタジオ・ズウ設立フリーとなる。
「北海道各駅停車見て歩き食べある記」「北海道おいしいもの見つけ旅」(北海道新聞社)、豆本シリーズ「小樽散歩」「函館散歩」「夕張散歩」(自費出版)などの著書があるほか、旅のスケッチ展を数回開催。
現在、JR北海道社内PR誌「ズウさんの俳諧旅日記」コーナーを執筆中。
古い町を旅するのが好き。ほのぼのとした人情を感じさせるイラストが人気で、最近は旅の絵手紙と俳句に凝っている。

「絵手紙ズウさんの痛快・駅前探見」
著者 渡辺俊博
発行 北海道新聞社
定価 1400円(税別)

第17話:

ぼくは子どものころ、それを”ケチャップごはん”と呼んでいた。
 ラグビーボールを半分にした形のトマト色のごはん ”チキンライス” は、ライスカレーよりも本当の洋食!と思っていた。
 ぽくのふるさと夕張の滝見通りにある(まねき食堂)で懐かしいチキンライスをたべた。
 もともと、まねき食堂はおもち屋さんで、今でも大きな看板には”夕張名物美人もち”と堂々と書いてある。
 「たぶん”もち肌美人”から名前をつけたんでしょうね、おやじは。もち一筋でずっとやってたんだけど、昭和二十四年五月に、この本町一帯が大火になって、町中ベロリ焼けてしまって……もちろんうちもだけど」
 もと国鉄マンのご主人、笹崎健さんが調理場からやって来て話してくれた。
 そういえば、ぼくが赤ん坊だったころの大火で、避難するときに、ぽくを知らない人に預けたらしく、あとから「俊博がいない!」と大騒ぎになったと、親父が言っていたことがあった。
 その大火を境に笹崎さんは食堂もはじめたそうだ。
 「わしは料理なんかそれまで作ったこともないから、<天金食堂>、ほれ知ってるっしょ。歌手の大橋純子さんのお父さん!その大橋さんに習ってね。店名の<まねき>というのもつけてもらったんだヨ」。ちなみに彼女はぽくの高校の後輩。卒業アルバムの卓球部の写真に純子さんが写っているのだ (ちょっといい気持ち……)。

 

はじめたころのメニューは大福もち、しる こ、雑煮などで、どんぶり物を少しずつ増や していき、いまではカレーライスやラーメン
もある。とにもかくにも、チキンライスを作ってもらった。
 チキンライスができあがるまで、美人もちの大福をたべてみた。ポテッとした大福はず
しりと重く、なんとなく美人の柔肌のような
気がする。やわらかなもちをパクリッ。その
感触といい、甘すぎないあんこといいなかな かうまい。お茶を飲みながら、もう二、三個はいけそうだ。
 毎日、少ししか作らないので昼すぎにはなくなるらしい。ついおみやげ用にと数個を包んでもらった (これでひと安心)。
 「純子なんか、おやじさんに叱られたりするとうちの店にやって来て、よく遊んでいったよ。わしもカラオケで『シンプルラヴ』くらいは歌えるよ」と、ニコニコしていた。

そこへ、「はいどうぞ」と、奥さんのトヨ子さんが、できたてのチキンライスを持ってきてくれた。

色といい、ホンワリとしたにおいといい、まさしくあの懐しいケチャップごはんだ。
 さっそくひと口たべてみる。具も玉ネギと鶏肉という礼儀正しい?シンプルさがいい。感激だねこりや。
 都会のレストランでは味わえない素朴な味のチキンライス。スープがみそ汁の碗に入っているのは……ま、いいではないか!? なんとなくチキンライスの原点に出合ったようだ (ちょっと大げさだけど…)。
 「いいですねェ、この懐かしい味は」
 「そうかい、あんまり変わったことはしてないし、普通に作ってるだけだよ。な?」
 「そうなの。あんまりほめられたら困る……」と、奥さんは調理場に消えてしまった。
 店の前の崖下を流れる川は、石炭最盛期には真っ黒だった。しかし炭鉱が閉山してからは清流になり、いまではヤマベも釣れるという。
 ご主人の昔話を聞いていると、「おじさん、おばさん元気?」なんて、大橋純子さんが入ってきそうな気がした。

(続)

絵と文 「北海道 おいしいもの見つけ隊」(北海道新聞社)より



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