″おかし″と″おかず″は一文字違いだが、お菓子はごはんのおかずにならないし、おかずでコーヒーはいけそうもない。
ところが、キャベツのせん切りとポテトサラダの横にそのお菓子を盛りつけると、まるでエビフライのように見えるお菓子が、寿都にあるのだ。
白あんの入ったドーナツ味のこのお菓子は〈甘寿堂〉の〈海老太郎〉だ。
店のご主人安田一さんの話によると、先代は大正の初めころ、町で漁師相手に雑貨とお菓子を扱う店を営んでいて、中でも〈まるさんせんべい〉という、手焼きのせんべいの評判が良かったそうだ。
「わたしは中学を出て青森のお菓子屋に丁稚奉行にあがってネ。何年かして帰って来たら、まちの景気もパッとしなくてェ……」
そのころは、掛け売りがほとんどで、年末まとめて集金するのだが、不漁が続くとなかなか払ってもらえず、お菓子の材料代にもこと欠いたらしい。
「いつまでもせんべい焼いていても、もうからないし思い切ってやめてしまおうと思ったりして。そのとき、うちのバアさんに『いままでずっとせんべい売ってきたのに、やめたらご先祖さまに申しわけない』と、こぽされてネ」
そこでご主人は、せんべいに代わるなにか別の名物を作ればご先祖も喜んでくれるはずと、新名物開発に挑戦した。
どこにもないものをと頭をひねり、他店のお菓子を横目で見たり、料理の本まで調べて研究は続けられ……。そんな春のある日、「うちのやつが台所でエビフライを揚げているのを見てネ、おっ、あれだ! エビをあんこに代えて揚げてみたら……と思って」。
当時の庶民のおやつといえばカリントウが主流、あんな油っこいお菓子が売れるのだからひょっとしたらと思い、試作品をいろいろ作り、奥さんに味見をしてもらいながら、昭和三十七年に海老太郎ができたそうだ。
「でもそれがほんとうに売れるかどうかが心配でネ。わたしもバイクで雷電やニセコの温泉旅館に置いてもらおうと、売り込みに行ったりして。まあ、四、五年くらいたってからボツボツ売れだしてきたなア。お盆や正
月に帰ってきた地元出身者がおみやげに買って行ったり、口コミでも広がり、だんだん知名度が出てきたネ」
店の奥が仕事場だ。奥さんが盛んに作業をしている。バターや卵の入った生地を小さくまるめ、その中に手早く白あんを入れている。それをご主人が、細かく砕いたパン粉の上でころがしながらエビフライの形にして揚げていくのだ。二人の呼吸がピタリ合った手作りのお菓子が次から次へとできあがってくる。
さっそく、揚げたての香ばしいアツアツの海老太郎をいただいた。衣はフライのようにサクッとして、中はフワッとしたカステラと白あんがとてもうまい。ちょっと苦めのコーヒーがほしい。
「わたしがちょっと体調を崩してから、いまではほとんど女房まかせ。工場長をやってもらってるんだ」というご主人の言葉に、奥さんの良子さんは、ちょっとだけ鼻を高くしたように見えた。
以前、放浪の絵かき(山下清ではない)がふらりと立ち寄り、入口のガラスにエビの絵を描いていったことや、印章占いの人が「海老太郎の名前の画数はお菓子に最高」と言ったとか、大手菓子メーカーの人が名前を貸してほしいと訪ねて来たとか、おもしろいエピソードもたくさん話してくれた。
「いまでは″寿都町海老太郎様″でも手紙は届くよ」と、ご主人はうれしそうだ。

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