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■北海道に新天地を求めて 開拓民の子の学問所「善俗堂」は白石小学校の前身であった。 |
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戦時中は軍が一部を使用 大正時代は9年と13年に校舎の増築を行っているが、大正10年当時で校舎1,221平方メートル、敷地21,848平方メートル、付属地21,562平方メートルを所有していた。この農業実施地は明治36年度から事業を始め、大正5年度までに8,194平方メートルを開墾した。大正11年5月の開校五十周年には、寄付金1,072円あまりで図書、理科器具、掛け図、標本、体操器具などを購入、子供たちを喜ばせた。 明治8年、新校舎を建てるために、しばらく二部授業を強いられ、昭和9年6月、校舎の全面改築され、校地も1,300平方メートル増えた。戦局が厳しくなった昭和16年4月、公立白石国民学校と改称し、この年の5月と10月に十日間ほど農繁休暇が実施された。 19年、軍部は北海道への敵軍上陸を想定して、白石村厚別に弾薬庫をひそかに造り、陸軍兵器補助厰を白石村南郷(今の白石区役所、南郷丘公園付近)に設置、陸軍鉄道司令部は本部を白石国民学校に置き、運動場や教室の一部を使用した。このため、高学年は教師の自宅で授業を受けるなど、授業場所の確保には苦労があった。 |
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生徒急増で増築が間に合わず 終戦後の昭和22年4月、教育制度が改正され、公立白石小学校と改称された。 23年4月にPTAが創設された。 昭和25年に白石村が札幌市に編入した後、中央地区に母子住宅、本通に市営住宅ができて、このころ地区の人口が急増し始めた。この年の7月に現在の校名である札幌市白石小学校となった。 昭和28年12月、通学区域変更で東園小学校へ一部の児童が移っていった。その後の増築も焼け石に水の状態で、児童増により昭和33年に本郷小学校を開校し、この年の10月と翌年9月に通学区域を変更した。ピーク時の昭和34年度には児童数2,082人、27学級そなり、すし詰め授業や二部授業をしても追いつかず、音楽室や理科室など六教室は五年間普通教室に転用されていた。 38年1月南郷小学校に分かれ、39年1月本通小学校、40年1月東札幌小学校、41年北郷小学校、47年12月西白石小学校に分かれていった。昭和48年10月、百周年記念式典を挙行し、新校舎が完成した。 |
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吉葉山を迎え土俵開き(昭29.6.21) 白石町相撲同好会の好意によって本校の土俵開きに横綱吉葉山を迎えた。 この時、中庭において、本校児童と白石中学校の生徒、一般父兄も交え、これを見学した。 |
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新設土俵開き(昭 ・8・9) 新しい体育館ができて、以前からの土俵がなくなったので、二八会の皆さんが「後輩のために……」と、新設寄付してくださった。地方巡業中の大関北葉山一行を紹聘し土俵開きを行った。 |
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